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SMdream SM映画・SM本

SMの興味がある方へSM映画やSM本の紹介でイメージをお届け
<テーマ選択ポイント>
「女性が立ち木にからむつる草のようにからみつき、接吻の欲望に燃えて男の顔を自分のそれに引き寄せ、ちゅっ、ちゅっと軽い音をたてながら、優しく男性のほうを眺めるときそれはつる草の纏蔓(てんまん)のごとき抱擁と呼ばれる」というような説明を、奴隷制度のあった当時のインドでは、「カーマ・スートラ」を教科書に経験ある女性から若い女奴隷に教えられていたという。
 ご主人様に愛されたいM女の心得としていかがだろうか。
(せいじゅも以前この本や映画を見るようにご主人様に愛されたいM願望の女性へ勧めたことがある)
 
<あらすじ>
召使いのマヤは、王様に嫁ぐことになった幼なじみの貴族の娘タラに嫉妬し、王様を誘惑した。
だがそれが原因で、宮廷を追われる。
新しい暮らしの中で、宮廷彫刻家ジャイを愛するようになったマヤは、ある女から性愛の聖典"カーマ・スートラ"の奥義を学び、その技術で再び宮廷へ上がるのだが・・・。
16世紀のインド宮廷を舞台にした、愛の物語。(監督のミーラー・ナイールは『モンスーン・ウエディング』で2001年のヴェネチア国際映画祭・金獅子賞(グランプリ)を受賞)
原作「カーマ・スートラ」(Kama Sutra) 著:ヴァーツヤーヤナ(Vatsyayana)
(本と映画はかなり異なります)

<映画>
カーマ・スートラ/愛の教科書」 (KAMA SUTRA: A TALE OF LOVE)
製作:1997年イギリス・インド
監督:ミーラー・ナーイル(Mira Nair)
出演:インディラ・ヴァルマ (Indira Varma)
   サリタ・チョウドリー(Sarita Choudhury)

<本>
バートン版 カーマ・スートラ (角川文庫―角川文庫ソフィア)
 著:リチャード・バートン 角川文庫
カーマ・スートラ―完訳 (東洋文庫 (628))
 著: ヴァーツヤーヤナ 東洋文庫

<参考:カーマ・スートラ(愛経)>
西暦1~6世紀頃にヴァーツヤーヤナ(姓で名前は不明)によって書かれたと思われるインドの性典で、「バートン版カーマ・スートラ」の邦訳では「愛経」とされ、以下7部で構成されている。
第1部 「ヴァーツヤーヤナ・スートラ」
第2部 「性的結合について」
第3部 「妻の獲得について」
第4部 「妻について」
第5部 「他人の妻について」
第6部 「娼婦について」
第7部 「人を惹きつける法について」
「カーマ・スートラ」の目的は、若い男女が夫婦生活に入るにあたって、新しい人生に必要な性知識を彼らに提供しようと考えられたという。
本邦初の「カーマ・スートラ」は大正四年に大隅為三がフランス語から重訳したとされている「婆羅門神学 愛経」。その後大正十二年十月に泉芳璟が印度学会から刊行した「カーマスートラ」は梵語からの直接訳がある。

<参考:魅惑のカーマスートラ>
 本や映画が見る前に知りたいという方は参考にして下さい。
 魅惑のカーマスートラ

<本ブログ主宰川口青樹(カワグチ セイジュ)のお気に入り>
 本(「バートン版カーマ・スートラ」)では、第2部第2章「抱擁について」、第6章「態位交悦の種類」、第7章「愛打の種類とその適切な音について」。
 映画「カーマ・スートラ/愛の教科書」では、寺院の大胆な抱擁像、水浴シーン、女性同士で顔を逆にした接吻シーン、また医者と言えども王侯の女性に触れる場合は、全身に布をかぶせ、そこに開いた穴から手を入れることにより行う触診のシーンはかなりエロティックだ。

◆◆この映画、小説をご覧になった方は感想をお寄せ下さい
◇◇あなたのオススメの官能映画・小説をご紹介して下さい 

参考:映画『カーマ・スートラ/愛の教科書』
   愛の教本「カーマスートラ」を読む②
   カーマスートラ その1
   死ぬまでにしたい事柄、その15: カーマスートラを学んで実践しよう。
   映画版「カーマ・スートラ(愛の教科書)」 - 西洋占星術・アロマ
キーワード カーマ・スートラ
(エロティカ)

<テーマ選択ポイント>
 「O嬢の物語」は知っているが、その作者の「ポーリーヌ・レアージュ」がどういう人だったのか知らないという方が多いのではないだろうか。
 現在では既に故人となってしまったが、本作品の撮影当時は90歳だった。

<あらすじ>
 10人の女性アーティストが自らの性について語り、「女性が感じるポルノ」を追求したドキュメンタリー。
 謎の作家と呼ばれ、1998年に亡くなった「O嬢の物語」の作者ポーリーヌ・レアージュが小説の創作秘話を作り、作家アラン・ロブ・グリエの妻ジャンヌ・ド・ベルグが、SM嗜好である自身のセクシュアリティを語り、元ポルノ女優アニー・スプリンクルは、自らのポルノ女優史をパロディーにしてステージで披露する。
 10人の女性にスポットをあて、内なる性的願望や心の奥底にある秘密をカメラの前で赤裸々に告白。
 製作、監督、編集、など全て女性のスタッフで撮られたこの作品は、女性が自らのセクシュリティを積極的に受け入れ、アピールする様を描き出している。

<映画>
エロティカ [DVD](エロティカ、EROTICA A Journey into Female Sexuality)
製作:1999年 カナダ
監督:マヤ・ガルス(Maya Gallus)
出演:ポーリーヌ・レアージュ(Pauline Reage)・・・作家注.『O嬢の物語』   ベッティナ・ランス(Bettina Rheims)・・・写真家
  アニー・スプリンクル(Annie Sprinkle)・・・女優・映画製作者
  ジャン・ド・ベルグ (Jean De Berg)・・・SM女王様・アラン・ログ・グリエの妻
  キャンディダ・ロイヤル(Candida Royale)・・・ 女優・女性向けポルノ制作会社『femme』代表
  アリーナ・レイエス(Alina Reyes)・・・作家『肉屋』他
(本作品に原作本はありません)

<参考:マヤ・ガルス監督とエロティカ>
 三年にわたって二百人もの女性を調査した中からこの十人を選び出したガルス監督は、「私が興味があったのは最先端の女性たち。
 性を探求するアーティストはもちろん最先端で、彼女たちが引き起こしたものが、例えばマドンナのようなポップカルチャーや音楽ビデオ、広告といった主流派に影響を与えている」と言う。
 最先端の人たちだけあって、取材や撮影では驚かされることの連続だった。
 たとえばド・ベルグは最初、SMの女王の話しかしないと言っていたが、いざカメラを据えて撮影を始めるとロブ=グリエ夫人であることをぺらぺらとしゃべりだし、ガルス監督をあぜんとさせた。
 撮影時は九十歳を超えていたフランス人作家のレアージュが、クリアに英語で受け答えしたことも驚異的だったという。
 「彼女たちにとって性的なものと芸術性は強く結び付いている。スプリンクルのように性的なものを追求した結果、アーティストになった人もいれば、レアージュらは芸術を通してエロチシズムを探求した。
 でも共通するのは、性的エネルギーを生活で浪費するのではなく、作品で表現しているということ。エロチシズムの興奮の中で彼女たちが見つめる観点は、主流の芸術が探求しているものよりずっとおもしろいと思います」

<本ブログ主宰 川口青樹(カワグチセイジュ)のお気に入り>
 やはりポーリーヌ・レアージュと「イマージュ」の著者ジャン・ド・ベルグに惹かれてしまうのです。

◆◆この映画をご覧になった方は感想をお寄せ下さい
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参考:『O嬢の物語』~『イマージュ』他、覚書
<テーマ選択ポイント>
 街角で声をかけられた男のアブノーマルな欲求を受け入れる彼女の心の内なるものは何だったのだろうか。
 それは彼女の潜在的な欲求を開花させていくことではなかったのか。
(せいじゅこと川口青樹も実際のプレイの中ではよくM女性に目隠しをします。これは見えないことにより、M女性の受ける刺激がより敏感になることと、相手が見えないことによりM女性が逆に精神的に、自由に、また大胆になれる場合があるためです)

<あらすじ>
 ニューヨークのギャラリーに勤めるエリザベス(キム・ベイシンガー)は離婚経験のあるキャリア・ウーマンで、画廊に勤めている。
 ある日、女ともだちのモリー(マーガレット・ウィットン)とチャイナタウンに行った際、身なりもよくハンサムな男(ミッキー・ローク)に声をかけられ、不思議な予感に胸をときめかせた。
 翌日、ノミの市でジョンと再会したエリザベスは、彼の巧みな誘惑に心も体も惹き付けられていく。 原作 「ナインハーフ」 エリザベス・マクニール

<映画>
ナインハーフ」(ブルーレイディスク 9 1/2 weeks)
製作:1985年 アメリカ
監督:エイドリアン・ライン(Adrian Lyne)
出演:ミッキー・ローク(Mickey Rourke) キム・ベイシンガー(Kim Basinger)

<本>
ナインハーフ (ハヤカワ文庫 NF (121))
 著:エリザベス・マクニール(Elizabeth McNeill) ハヤカワ文庫

<参考:エイドリアン・ライン監督>
1941年イギリス生まれ。
 広告代理店にメール・ボーイとして入社。
 CMのアシスタント・プロデューサーを経て、1971年に「ジェニー・アンド・カンパニー」を設立する。
 CM製作の一方で、短編映画を何本か発表した後、1980年に劇場用映画「フォクシー・レディ」で監督デビュー。
 1983年のフラッシュダンス が大ヒットし、メジャー監督の仲間入りを果たした。
 1987年の危険な情事」(ブルーレイディスク)ではアカデミー賞にノミネートされた。
 新感覚サウンドを採用し、光の明暗のコントラストを生かした演出方法が特徴で、80年代きっての風俗作家と評された。
 ナインハーフは公開当時、目隠しをして彼女の体に氷を這わせたり、四つんばいにさせて彼のもとまで歩かせたり等官能的な演出が話題となった。

<参考:キム・ベイシンガー
 1953年アメリカ・ジョージア州生まれ。
 スウェーデン人とドイツ人の血を引き、チェロキー・インディアンを祖先に持つ。父はバンド・ミュージシャン、母はモデル。
 「キングコング」(1976)のスクリーンテストを受けるが選ばれず失敗。(実際に選ばれたのはジェシカ・ラング) 
 スクリーンデビューは1981年の「HARD COUNTRY」。
 注目されたのは、1983年の「ネバーセイ・ネバーアゲイン」 1984年の「ナチュラル」 。
 そして1985年のこの「ナインハーフ」でスターの仲間入りを果たした。
 「ボクシング・ヘレナ」(1992年・ジェニファー・リンチ監督)に出演の約束をしながら降りたことで訴えられ、敗訴により1993に破産するなど一時期難続きであったが、1997年「L.A.コンフィデンシャル」でアカデミー助演女優賞を獲得し女優として見事に復活。

<本ブログ主宰川口青樹(カワグチ セイジュ)のお気に入り>
・氷とその雫で女体がなぞられていくシーン。
 ・ヒロインの男装シーン。
 ・男のタンス・机の中を密かにのぞくシーン。

◆◆この映画、小説をご覧になった方は感想をお寄せ下さい
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参考:『ナインハーフ』
   キム・ベイシンガー
   「ナイン・ハーフ」(1986年、米)-観て損がない映画
   『ナインハーフ』(映画)
   とうとう0度
ナインハーフ (85) キム・ベイシンガー エイドリアン・ライン監督
(アカイコウロ)

<テーマ選択ポイント>
 ついSとMをはっきり区別させたくなるのだが、人間の本性はそう簡単に割りきれるものではない。
 この映画を見た時、最初若い年下のS女性と倒錯的行為に溺れるM男の話かと思った。だが、小説を読み、再度映画を見ると、実は彼女はSの行為をさせられる奴隷ではなかったのか。
「・・・というのも私は人生がこわくて、真実が見抜けなかったの。私があなたの奴隷になったのは、解放されると信じていたからなのよ。・・・」(小説本文より引用)

<あらすじ>
 典型的なイギリス人夫婦ナイジェル(ヒュー・グラント)とフィオナ(クリスティン・スコット・トーマス)は夫婦の愛を確認するためイスタンブール行きの豪華なクルーザーに乗った。
 ナイジェルは船上で車椅子のアメリカ人作家オスカー(ピーター・コヨーテ)に出会う。オスカーはナイジェルに自分の妻であるミミ(エマニュエル・セニエ)との関係を語り出す。
 パリの街角での出会い、情熱に任せたセックス、そし倦怠に対抗するために倒錯した性の世界へ入っていったこと・・・・・・。
 原作:Lunes de fiel=苦い月、邦題/赤い航路
 著:パスカル・ブルックナー(Pascal Bruckner)

<映画>
赤い航路」(Bitter Moon)
製作:1992年 フランス イギリス
監督:ロマン・ポランスキー(Roman Polanski)
出演:ピーター・コヨーテ(Peter Coyote)
   エマニュエル・セニエ(Emmanuelle Seigner)
   ヒュー・グラント(Hugh Grant)
   クリスティン・スコット・トーマス(Kristin Scott Thomas)

<本>
赤い航路
著:パスカル・ブルックナー  扶桑社ミステリー

<参考:ロマン・ポランスキー
(Roman Polanski)
 1933年、ポーランド系ユダヤ人としてフランスのパリに生まれる。本名はRoman Liebling。
 3歳のときにフランスからポーランドへ移住。
 第二次世界大戦が始まるとともに両親はナチスの強制収容所送りとなり、母親はそこで死亡。
 7、8歳からポーランド郊外のカトリック系家庭を転々とし、戦後、父親と再会。
 1947年にクラコウの演劇学校に入り、役者の道を進むようになる。
 ウージの国立演劇映画学校に入り、アンジェイ・ムンク監督らの指導を受ける。
 アンジェイ・ワイダ監督の「世代」にも出演。在学中に作った作品「タンスと二人の男」では5つの国際映画賞を受賞し、ブラックユーモアと不思議な人間関係を描く才気を見せている。
 デビュー長編映画「水の中のナイフ」は国内の賞賛を浴びたばかりでなく、ベニス国際映画祭の批評家賞を受賞、またアカデミー賞にもノミネートされた。
 1964年に女優のバルバラ・ラスと結婚したが、すぐに離婚。パリで知り合った脚本家ジェラルド・ブラックとコンビを組み、「反撥」 、「袋小路」を撮影、ベルリン映画祭で銀熊・金熊賞を受賞した。
 1966年に「吸血鬼」の製作に入り、その映画製作者マーチン・ランソホフの恋人だったシャロン・テートと恋におち、結婚しアメリカに渡る。
 1968年に発表された初のハリウッド作品「ローズマリーの赤ちゃん」で国際的に名が知れ渡ることになる。
 1969年8月9日夜、「マジック・クリスチャン」出演のためにロンドンへ行った留守中に、ハリウッド・ベルエアの自宅で、愛妻シャロン・テートがカルト集団チャールズ・マンソンファミリーに惨殺されるというショッキングな事件が起こった。(シャロンは臨月の身だった)
 1971年、「マクベス」を監督。
 事件以来、イギリスに引きこもっていたが、再びアメリカに渡り、ハードボイルド映画の秀作「チャイナ・タウン」をを監督。
 自らも出演し、主演のジャック・ニコルソンの鼻をナイフで切り裂く男に扮した。続く「テナント」で狂気のふちをさまよう男の物語を監督、主演。
 立て続けに傑作を発表するポランスキーの評価はこの時期、私生活での悲劇も手伝って最高潮に達した。
 しかし、1977年、アンジェリカ・ヒューストンの自宅で13歳の少女モデルをレイプした疑いで逮捕され、保釈中に「ハリケーン」の撮影のためヨーロッパに渡り、そのまま逃亡犯となった(同作の監督はヤン・トロエルに交代)。 正確な状況判断を下そうともせず、一方的に彼を非難する世論の脆さと曖昧さに追いつめられたポランスキーは、戦時中のように再び迫害にあっている自分を見つめなおしていた。
 その結果、1979年「テス」で魂を昇華させることに成功。
 タイトル・バックにある「シャロンへ捧げる」という献辞どおりに、もともと彼女が演じたいと望んでいたこの作品によって、壮麗な映像と瑞々しい詩的な演出でラブ・ストーリーの最高峰を完成させた。
 彼の作品は暴力、被害妄想、孤独、隔離、疎外感などのテーマを扱うことが多く、彼の独特な世界に対する考え方が随所に現れている。
 ユダヤ人迫害、狂信的なヒッピー文化、性モラルの崩壊…社会の歪みを個人的悲劇として体験してしまっているポランスキー。
 彼はいう。「人生の波乱なんてものに、ぼくは価値を求めないね」
 1992年、ポランスキーは、フランスでベストセラーを記録した官能小説「赤い航路」を、製作&共同脚本を兼ねて映画化。
 出演女優のエマニュエル・セニエはポランスキー監督夫人(1989年結婚)でもある。


<本ブログ主宰 川口青樹(カワグチ セイジュ)のお気に入り>
 映画の中では、ヒロインの彼女が放送の流れているテレビの画面に向かって放尿するシーン、食事中の牛乳をオッパイに浴びせられて舐められるシーン。
 小説の中では「2日目、倒錯ゲーム」。

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参考:赤い航路 Bitter Moon
   映画「赤い航路」(監督:ロマン・ポランスキー)・・・スキャンダルの中の天才監督④
   ロマン・ポランスキー
   『赤い航路』ロマン・ポランスキー
   真紅のthinkingdays 愛より速く~『赤い航路』
(ヒルガオ)

<テーマ選択ポイント>
 野外で御者に鞭打たれ、後ろから犯される夢は被虐願望か。
 以前にあるSMクラブで働いている人妻の方とお話したが、最初は昼間に短時間でお金を稼ぐためのためと思って入ったのが、だんだんそれだけでは済まなくなって気づいたらもはや心身共に抜けられなくなってしまったと言う。

<あらすじ>
 外科医の妻セブリーヌは外見は貞淑な女性だった。
が、内面には激しい情欲が渦巻いていた。
 淫らな妄想にかられたあげく、彼女は昼間だけの娼婦「昼顔」として欲望に身をまかせるようになる。 原作:ジョセフ・ケッセル(Joseph Kessel)

<映画>
昼顔」 Blu-ray (ブルーレイディスク)(BELLE DE JOUR)
製作:1967年 フランス
監督:ルイス・ブニュエル(Luis Bunuel)
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve)

<本>昼顔 (1952年) (新潮文庫〈第406〉)
著:ジョセフ・ケッセル 新潮文庫

<参考:ジョセフ・ケッセル昼顔
 1898年-1979年、アルゼンチン生 1922年24歳の時の処女作「赤い草原」(La Steppe Rouge)でフランス文壇の新進作家として認められて以来数多くの作品を残している。
 また、D・H・ロレンス(D.H. Lawrence)原作の「チャタレイ夫人の恋人」(L' AMANT DE LADY CHATTERLEY )の最初の映画化(1955年 フランス)や「将軍たちの夜」 (1966年 アメリカ、THE NIGHT OF THE GENERALS オマー・シャリフとピーター・オトゥール主演、戦時下の異常な犯罪を描いた心理サスペンス)でも脚本をてがけている。
 昼顔」は1929年に出版され、既に断章が新聞に掲載された当時からごうごうたる世論を巻き起こした。

<参考:カトリーヌ・ドヌーヴ
 1943年パリ生 (本名 Catherine Fabienne Dorleac)
 お父さんは俳優のモーリス・ドルレアック(Maurice Dorleac)。
 お姉さんのフランソワーズ・ドルレアック(Francoise Dorleac)も彼女より先に国際的な女優として活躍し、ドヌーブというのはお母さんの旧姓で、このお母さんのルネ・ドヌーブ(Renee Deneuve)も女優の演劇一家に育った中学当時から幾つかの作品に端役で出演。
 本格デビューは1960年の"Les Portes claquent"。ロジェ・バディム (Roger Vadim)が脚本を担当した1961年の「パリジェンヌ」(LES PARISIENNES)
で主役のひとりに抜擢され、これをきっかけにロジェ・バディムとの恋愛関係に入ったことで女優として花開かせる。
 1962年には悪徳の栄え [VHS](La Vice et la vertu ロジェ・バディム監督)で大注目を受け、ダイナミックなハリウッドのミュージカルとはまったく違うメランコリーな感じが受けヒットするあの有名な音楽以上に、結婚できないまま恋人の子供を産む女性の役を演じドヌーブの美貌が作品を支えていたシェルブールの雨傘(Les Parapluies de Cherbourg 1964年フランス ジャック・ドゥミ Jacques Demy監督 カンヌ映画祭グランプリ)でその人気は決定的ものに。
 実はこの時期彼女はロジェ・バディム監督と同棲中で1963年男の子クリスチャン(Christian Vadim)を産んでいるが、監督とは結局結婚できないまま別れており、私生活と劇中の役が重なっていることが大いに話題になった。
 続く『反溌』(1965年)で彼女が演じた役は、セックスに嫌悪感を抱く少女でしだいに狂っていく役をうまく演じた。
 この辺りからドヌーヴは女性の心の奥の愛憎・欲望などを表情・物腰だけで体現することを得意とし、性格女優を兼ね備えた数少ない美形女優として世に認められる。
 1968年にはアメリカにも進出し、「世界最高の美女」という肩書きがついた一時代を築く。
 たちまち彼女の人気はアメリカでも高まり、退廃・背徳・官能といった言葉の似合う「魔性の美女」という一面も確立させた、そしてその美貌は90年代になっても衰えることなく、正に"大女優"の名で今尚活躍を続けている。
 1980年「終電車」
セザール賞主演女優賞、1992年「インドシナ」でアカデミー賞の主演女優賞にノミネート、セザール賞主演女優賞、1998年「ヴァンドーム広場」でベネチア国際映画祭主演女優賞受賞。
 1965年写真家David Baileyと結婚するが1970年に離婚。1971年の「他人にしか起こらないこと(Ca n'arrive qu'aux autres,-哀しみの終わる時-とも)」で共演したマルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Mastroianni, 1924-1996)との間には1972年にキアラ(Chiara Mastroianni)を出産したが未婚のまま破局を迎えた。(クリスチャン、キアラ共にその後俳優になった)

<本ブログ主宰川口青樹(カワグチ セイジュ)のお気に入り>
 野外で乗馬鞭を使われて打たれるシーン、ベッドに座ったままヌードで後ろを振り向いているシーンがお気に入り。
 シェルブールの雨傘の清楚なカトリーヌ・ドヌーヴを見ていたので、いつかこういう女性を「昼顔」ようにしてみたいと思った。

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参考:『昼顔』
   「昼顔」ルイス・ブニュエル
   映画『昼顔』から考える  プラトニックしましょ深入りは嫌よ! 
   映画評「昼顔」